ほんとうのきもち

 

「パチェ・・・・・・?」

 胸ぐらを捕まれた事よりも、涙を溜めている事に動揺して、俺は、随分と、間抜けな声を出してしまった。

 唇は噛みしめられ、僅かに震えている。目の端の涙は、もうこぼれそうになっていた。

「どうなさいました? どこか・・・・・・具合でも?」

 そんなことは無い。主の様子と涙を見た時点で、どういう事か解った。だが、他にかける言葉を探し出せずに、おざなりな問いかけをしてしまう。

 主もそれがわかったのだろう、いっそう強く俺を睨み付けると、僅かに、口をひらいた。

「小悪魔が好みって本当?」

「・・・・・・は?」

 また、間抜けにも聞き返す。

「答えて。どうなの?」

「好みです・・・・・・どうしたんですかいったい?」

 答えると、主はぐっと俯いてしまった。

「・・・・・・らない」

「・・・・・・」

 声が小さすぎて、聞き取れない。俺はせかすようなことはせずに、黙って待つ。壊れると解っている防波堤を見ている気分だが、わざわざ自分から壊すような真似はしない。

「わからない」

 うわずった声。呼吸がうまくいかないのか。ちょっと苦しそうだ。

「宗司は、わかる?」

「僕にも、わかりません」

「そう」

 とん、と、俺の胸板におでこを押しつける主。俺はただ、柱の様に突っ立っているだけ。

「宗司が、他人と話しているのをみると、頭が、変」

 体の震えに呼応するように、声も震えていた。絞り出すように。

「宗司が、他人と仲良くしているのをみると、感情が、変」

 ふるえが、だんだんと大きくなっていくのが解る。

「言いたくないのに、口が勝手に喋る。怒りたくないのに、勝手に感情が高ぶる。不満なんか無いのに、不満。ねぇ? どうして? 解らない。今まで自分が思い通りにならなかった事なんて無いのに。自分の、事なのに」

 すう、と息を吸う。

「どうして!」

 主人の叫び声を初めて聞いたのか。図書館が震えた気がした。広く、天井の高い図書館は、彼女の叫びを反響させる。

「ねぇ、答えてよ、宗司・・・・・・貴方の所為なんだから、わかるでしょう?」

 一転して、弱々しい声。

 告白されたようなものだ。

 100年以上生きている魔女でも、経験したこと無い感情の前にはただの少女。そういう事らしい。計算外だ。

 計算外?

 馬鹿な。

ここに来て俺は、こういう状況を全く想定していなかった事に、否。考えることを先送りにしていた事に気付いた。

あくまで執事だから。そういう関係じゃないから。それじゃ違うから。それとは別問題だから。分不相応だから。

そう思ったり、答えたりして、主の好意から、逃げていた。

自分は主に好かれたいくせに、主からの好意が、怖かった。

今。

逃げ道を失った。

執事で有ることに迷いは無い。

主の側にいることに迷いは無い。

幻想郷の者であることに迷いは無い。

紅魔館の住人であることに迷いは無い。

ヒトに、紅魔館に頼ることに迷いは無い。

そんなことは最初の最初に誓った事。

だが、

パチェの想いに答える覚悟が無かった。

いずれ似たような事になるのは解っていた。

自分まで騙して解らない振りをしていた。

それも、もう出来ない。

それが、計算外。

否、否否。

この期に及んで俺は何を考えている?

解っていた事じゃないか。

こんなになるまで自分から、パチュリー様から逃げて。

まだはぐらかすなんて事。

俺には、出来ない。

だけど。

「・・・・・・パチェ」

 抱きしめたい衝動を堪えて、主の肩に手を置く。びくりと、パチュリー様の体が震える。

「パチェのそれは、恋愛感情から来る嫉妬です」

「嫉妬・・・・・・?」

 顔をあげて、怪訝な表情で俺を見た。俺はこくりと頷く。

「似たような経験有りませんか?」

「・・・・・・魔理沙が楽しそうにしている時。羨望と黒い感じが一緒になった様な」

 眉間に皺を寄せて、まとまらない思考を口にしている感じ。しかし思考することでちょっと冷静になったのか、震えは収まっていた。

「でも、魔理沙が笑ってるから気にならないけど。宗司の場合は」

 そこで言葉を切り、ゆるゆると首を振る。

「私、こんなに我が儘だったかしら。貴方が私以外と話しているのが嫌だなんて。昨日の朝、小悪魔といかがわしいことしてると思った時はこんな事なかったのに・・・・・・ねえ宗司。どうしたら治るの? 知っているでしょう?」

「わかりません」

 この期に及んで、まだはぐらかす俺。そんなことは出来ないのに。怖い。どうしても、不安がある。

「嘘」

 あっさりと、看破された。主は苦しそうに、表情を歪める。自分ではなく、俺の様子に対して。

「その顔は嘘をついている顔。それと・・・・・・なんで貴方が泣いているの? 泣きたいのは私なのに」

 え・・・・・・?

 自分の顔に触れる。ほっぺたに、ぬれた感触。

 ああ。

 そうか。

 そうなんだ。

 自分の奥底の気持ちを理解した時。

パチェを抱きしめていた。

俺にその衝動を止める理由が、無くなった。

「宗司?」

「どうですか?」

 ちょっと驚いたパチェに逆に問いかける。

「え?」

「治りましたか?」

「ん・・・・・・」

 腕の中で、パチェの目からも、涙が溢れていた。

「すっきりしたけれど・・・・・・なにか、こみ上げてきた。もう駄目。泣くっ!」

 俺の背中に手を回し、顔を胸板に押しつけて、泣き顔を隠すパチェ。俺の顔の下辺りにある髪の毛からは、ラベンダーではなくライラックの香りがした。

その頭をなぞるように撫でる。びくっと、パチェが反応した。

「どうしました?」

「っく・・・・・・なんでもない。もっと撫でて?」

 しゃくり上げながら、おねだり。

「はい」

 図書館の静寂に包まれながら、俺とパチェは暫く、何かを埋めるように抱き合っていた。


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