紅い悪魔
紅い月。
紅魔館にしては珍しく、静かな夜。
そしてこれまた珍しく、レミリアは眠っている。
紅い月。
咲夜は、この紅い月の夜だけは、レミリアが眠ることを知っている。そして決まって、次の日の昼過ぎまでは起きてこない。妹のフランドールも同様だ。もっとも、妹様の方はあまり出てくることがないから変わらない。
その間、咲夜はつかの間の休息を楽しむ事にしている。別に吸血鬼に仕えるのが嫌な訳ではない。ただ、本当に休めるのはこの紅い月の夜だけだから。そんな日が有るのも、悪くない。
「さて」
一言呟いて、咲夜は窓から覗く月から目を離し、紅魔館の薄暗い廊下を歩く。一通り見回りさえ済んでしまえば、後は自由だ。最後にレミリアの部屋の前を通り、それで終わり。そのはずだった。
「咲夜」
部屋の中から突然声を掛けられ、咲夜は身をすくめる。もしコレが聞き慣れぬ声ならば、咲夜は即刻襲いかかっているが、声の主は、寝ているはずのレミリアのものだった。
「はい、お嬢様」
何故起きているのかと首を捻るも、呼吸を整えて、返答。
「入って」
言われて、咲夜はドアノブに手を掛ける。瞬間、全身がざわついた。コレは危険信号だ。今、この部屋に入ってはいけないと、生物としての本能が警告する。
レミリアの声は普段どおり、特におかしな所は無いし、別段怒っている風でもない。なのに、だ。
「咲夜、どうしたの」
入ってこない咲夜に対して、レミリアの声が促してくる。このまま知らんぷりをするわけにもいかない。咲夜は意を決して、ドアノブを捻り、開ける。
「失礼します」
中は暗かった。照明は落とされ、すべての窓にはカーテン。それなのに、レミリアが何処にいるか、咲夜には直ぐに解った。2つの、小さな明かりが暗闇に浮かんでいる。
普段は紅いレミリアの瞳が、金色に変わって咲夜を見つめていた。
息を呑む咲夜。黄金の瞳の意味は。
敵対。
その意味を頭が認識したときには、金の目が眼前に迫っていた。思わず顔をかばう咲夜。
(最悪だ!)
反射的な行動とはいえ、敵対者だというなら、こんな行動をしてはならない。幾らお嬢様だからとはいえ、こんな事ではどうしようもない。脳裏には、爪で引き裂かれ、2つになって転がっている自分が見えた。
どん。
思いの外、衝撃は優しい。というか、痛みもない。おそるおそる、衝撃を受けた辺りに目を向けると、レミリアがしがみついていた。胸の辺りに顔を埋めている。
「お嬢・・・・・・さま?」
思わず間抜けな声を出した自分に心の中で舌打ち。さっきかららしくないと、自分を叱咤することで平静を保とうとする。幾分冷静になった頭で、レミリアを観察する。
レミリアは、震えていた。それこそ、おびえた子猫のように。
「ご免なさい、ちょっと、このまま」
そう言う声まで震えている。咲夜は、レミリアの背中に腕を回して、抱きしめた。レミリアのしがみつく腕にも力が入る。加減が聞かないのか、しがみつかれた部分が相当な痛みを訴えてきたが、無視。こんな状態の主を、痛いというだけの理由で振り払えようか?
暫く、その状態が続く。だんだんとしがみつく腕から力が抜け、震えも収まる。そのころには、しがみつかれたところの感覚がなくなっていた。
レミリアが、顔をあげる。瞳は普段の紅色に戻っていた。少し潤んだ目は、僅かに涙を流していたことを証明するもの。
「有り難う、咲夜」
目元を拭い、少し名残惜しそうにしながら離れるレミリア。そんな主をみて、咲夜は思わず聞いてしまった。
「いったい、どうなさったのですか?」
本来、聞くような事では無い。しかし、普段からあまりにもかけ離れた主の様子に、聞かずにはいられなかったのだ。
「ん・・・・・・」
レミリアは、少し躊躇った後。
「咲夜、紅茶を淹れて。少し、お話しましょ?」
「・・・・・・はい」
しまったと思ったが、主がそういうので有れば。
紅茶を淹れ、テーブルを挟んでレミリアと咲夜は向かい合う。
暫く黙って飲んでいたレミリアだったが、ぽつりと、話し始める。
「夢をみたわ」
「夢、ですか?」
吸血鬼が夢を見ることは不思議でも何でもないが、なぜ、今その話になるのか。
「ええ、とても、怖い夢」
いわれて、咲夜は得心した。つまりは、悪夢をみて怖かったのだ。瞳が金色になっていたのも、震えていたのも、咲夜が危険を感じたのも。レミリアの神経が、最大まで逆立っていたのた。それが、咲夜をみて安心したのか、それは解らないが、とにかく人の温もりをもとめたのだ。お嬢様が、である。
「その夢には、お父様が出てくるの」
「お父様」
「私がブラド=ツェペシュの末裔という事は知っているでしょう」
「ええ」
咲夜はそれが理由で紅魔館にきたようなものだ。聞かされる前から知っている。
「お父様は、ブラドに食人鬼にされた。そして私は」
「・・・・・・」
「お父様に、吸血鬼にされた」
「え・・・・・・?」
咲夜は耳を疑った。吸血鬼に捕食された場合、高確率で知能の低い食人鬼になる。いきなり吸血鬼化するのは極めて希なケースだ。だからレミリアの父が食人鬼になったというのは自然。
対して食人鬼に捕食された場合。骨も残らない。吸血されるのではなく、肉体を全て喰われるからだ。吸血鬼になるも成らないも。そもそも体が無くなってしまう。
「ええ。だから間接的に、よ。私は、食人鬼になったお父様に生きたまま食べられたの」
咲夜は余りの内容に、思考が停止してしまう。父親に、いきたまま体を咀嚼される。体感したものでなければ、解らない感覚と感情。まさに、想像を絶する。
夢の内容を思い出したのか、自分の体を抱きしめるレミリア。瞳はティーカップを見つめている。
「その場にいたブラドが、何故私を助けたかは解らない。いえ、結果私は吸血鬼にされたのだから、助けたと言うのはちょっと語弊が有るかしら」
自虐的な笑みを浮かべるレミリア。笑えるような話では、無い。咲夜が推測するに、恐らくブラドは、父に喰われる娘という構図が見たかっただけではないか。それがなんの気まぐれか、レミリアを吸血鬼にすることで助けた。それだってレミリアが食人鬼になってしまう確率の方が遙かに高かったハズだ。別にブラドはそれで構わなかったのだろう。
本当に、ただの気まぐれだったに違いない。
「お父様に『食べられた』私が人間を『食べられる』様になるまで100年かかった。満たされない空腹感を10年。人間の血が食料だと気付くのに10年。私が人間ではないと自覚するのに10年。人間が取るに足らない存在だと思いこむのに・・・・・・70年。一度食べてしまえば後は簡単だった」
「お嬢様・・・・・・」
「話がそれたわね。私が見た夢は、お父様に食べられている時の夢よ」
「お嬢様、もう・・・・・・」
咲夜は止めようとしたが、レミリアの言葉は止まらない。
「手の指先からかじられてゆくの。痛みなんて直ぐに無くなった。それよりも、私の指を食べているお父様の顔がこわかった」
自分の指先を見つめるレミリア。瞳は、また金色になり始めていた。
「飢えた獣みたいに、殆ど飲み込むみたいにして食べるの。私が何度もやめてって言ってるのに、お父様、食べるの。指を飲み込んだら今度は手を、腕を肘を。お父様、止めてよ、痛いよ、お父様、食べないで、そんなお顔しないでよ、嘘だよって笑ってよ、お願い、やめてよ、お父様、やめて、やめてやめて、やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめ」
「お嬢様!」
咲夜の悲鳴にも似た呼びかけに、はっと、我に返るレミリア。
「あ、」
金色の瞳から、一筋、涙が頬を伝う。
「ああ・・・・・・ご免、なさい。紅い、月の夜は、いつも、こんな、感じ」
両手で顔を押さえてうずくまるレミリア。咲夜は立ち上がり、後ろからレミリアをちからいっぱい抱きしめた。
「咲夜・・・・・・」
「申し訳ありません、お嬢様」
咲夜は後悔してもしきれないでいた。なんて軽率な事をしてしまったのか。なんで聞いてしまったのか。なんで、察せ無かったのか。
「いいの、咲夜。これは、わたしが背負うべき業。咲夜に話した私も悪かった」
「違います! お嬢様が背負うべきものなど有りません」
確かに、吸血鬼は人を喰らう。レミリアが捕食してきた人間も少なくないハズ。それでも、吸血鬼という存在はそういうモノだ。そこに罪は無い。ましてや今の話を聞いた後ではなおさらだ。吸血鬼が悪と言うのは、結局人間が勝手に決めたものだ。
吸血鬼が人間を捕食するのは当たり前、吸血鬼を狩る人間がいるのは当たり前。だが、そこに善悪は存在しない。有るのは、生存競争という摂理だ。そこから外れる吸血鬼もいるが、そんなものはとうに滅ぼされている。ブラドの様に。
「でも、愛想を尽かしたでしょう?」
「いいえ、逆です」
咲夜の言葉に驚いたのか、言葉に詰まるレミリア。咲夜の声は、慈しみを持ってレミリアに届けられる。
「お嬢様、紅い月の夜は、いつもその事を思い出すのですか?」
今度は、あえて咲夜は聞いた。
「ええ・・・・・・」
「ならば、今度から、必ずおそばにおります」
「でも・・・・・・あなたの休息が」
レミリアは咲夜の休息時間だと知っていたようだ。咲夜は続ける。
「そんなモノはどうでもいいんです。お嬢様。貴女の不安が少しでも和らぐなら、私の時間なんていりません」
咲夜は離れて、レミリアにほほえみかけた。
「お忘れですか? 時間は私の中にあるのです」
少し冗談めかして言う咲夜。
「・・・・・・だったわね。じゃあ咲夜。月の紅い夜は、私の側に居なさい」
安心したのか、躊躇いながらも、笑顔で答えるレミリア。
「承知いたしました」
いつものやりとり。
咲夜は思う。お嬢様はこうでなくてはならない。我が儘で、無茶苦茶で。そんなお嬢様だからこそ、私はここにいるのだから。
紅い月は、煌々と紅魔館を照らし続けていた。
了