兎と天狗

 妖怪の山近くの森。深くもなく、浅くもない。人間は寄りつかず、天狗の縄張りである妖怪の山が近くにあるため、このあたりは凶悪な妖怪も住んでいない。妖精や幽霊がちらほらと姿を見せる程度で、これといった特徴があるわけでもない。そんな森に、人影があった。シルエットは人間のものだが、明らかに違うところがひとつ。

 頭頂部の辺りから何か生えている。よくよく見れば、それは兎の耳だった。細くて白い耳が、ちょっとよれた感じながらも立っている。膝まであろうかという薄い紫色の長い髪、兎を思わせる真っ赤な瞳。白のワイシャツに赤いネクタイ。襟元に三日月の刺繍が入った紺色のブレザー。短めのフレアスカート。白いニーソックスにローファーと、女学生のような格好をしている。前歯は長くない。

 鈴仙・優曇華院・イナバ(れいせん・うどんげいん・いなば)。狂気を操る程度の能力を持つ玉兔・・・・・・月の兎だ。彼女は辺りを見渡すと何かを見つけたのか、傍目からは雑草にしか見えない背の高い草に駆け寄った。

「あったあった、これね、師匠が言ってた薬草」

 彼女が見つけたのは甘草(かんぞう)と呼ばれる薬草だ。時期が外れていて花を付けていないが、鈴仙は師匠の永琳から預かったメモと同じ物と確認。背嚢からシャベルを取り出した。この地味な森は薬草が群生しており、珍しい薬草などが良く採れるのだ。

「姫様も困った人よね」

 シャベルで甘草の周りを掘りながら、独白する。

「食べ過ぎでおなか壊すなんて」

 甘草は腹痛や下痢に用いられる薬草で、甘みが砂糖の200倍以上有る。副作用もあり、多量の接種は危険とされている。

根っこを傷つけないよう、慎重に掘ってゆく。根と茎を干した物が薬になるのだ。

「おまけに苦い薬は嫌だとか言い出すし・・・・・・。作る方の身にもなって欲しい」

 実際に処方するのは永琳なのだが、こうやって希少な薬草を採ってくるのは鈴仙の仕事だ。半分くらいは文句を言っても問題ないだろう。

腹痛の薬は常時ストックしてあるが、苦くない薬はそう無い。そこで甘草を採りに鈴仙が派遣されたというわけだ。

「・・・・・・しょっと」

 掘り出し、根っこについた土を丁寧に払うと、シャベルと一緒に背嚢に仕舞う。だが仕事はこれで終わった訳では無い。ついでにと渡されたメモには、いくつかの希少な薬草が記されていた。

「師匠も兎使いが荒いんだから・・・・・・なんて愚痴ってる場合じゃない」

 改めて、辺りを散策し始める。一歩歩けば薬草に出会う様な森だ。さして時間はかからないだろうと鈴仙は思ったが、全て見つけた頃には日が沈み掛かっていた。

「うわ、早く帰ろ。姫様も待ってるし」

 呟くと、途中で見つけた木の実を囓りながら帰路につく鈴仙。と、その時。横手の茂みから何かが飛び出してきた。

「えやーっ!」

 あわてて跳び退る鈴仙。手放した木の実が、まっぷたつに割れて地面に転がった。戦闘態勢を取り、襲いかかってきた人物を確認する。

 白いセミロングの髪。同色の犬耳。灰色の瞳、幼い顔立ち。白い肌。頭巾をかぶっている。白の山伏装束に、紅葉柄の入った朱と黒のスカート。一本下駄風のブーツ。天狗だ、そしておそらくは、山の自衛を主とした白狼天狗だ。右手にはばかでかい刀、野太刀。左手には紅葉の模様が入った円形の盾。

 鈴仙は戦慄した。あの太刀で斬られたら確実に首と胴が泣き別れていただろう。しかもそんな物を片手で振り回す膂力。尋常ではない。

 天狗は剣先を鈴仙に突きつけると、

「此処は天狗の縄張りです! 即刻立ち去ってください! これ以上進むならば攻撃します!」

 鋭い目つきで威嚇する天狗。どうやら、気付かないうちに足を踏み入れてしまっていたらしい。天狗は自分たちの領内に入って来られるのを極端に嫌う。しかし・・・・・・。

「いや、さっき攻撃したでしょう?」

 ・・・・・・。

 空気が固まる。鈴仙の突っ込みに冷や汗を流す天狗。だが太刀を大きく振ると、再び叫ぶ。

「きっ! 気のせいです! いいから早く立ち去ってください!」

 顔を赤くしてぶんぶんと太刀を振り回す。木の枝とか雑草とかがすぱすぱと切れて風に舞う。

「危ないじゃない! 言われなくても直ぐに帰るから落ち着いてよ。カルシウム足りてる?」

 よせば良いのに余計な事を言う鈴仙。案の定、天狗は更に顔を赤くして叫んだ。

「足りてます! 牛乳も毎日飲んでます! 久しぶりに私の管轄に侵入者が来たから張り切って出てきたら滑った何てことはありません! おまけにそれで恥ずかしくて暴れてるなんて事は絶対無いです!」

「うわぁ・・・・・・」

 ドン引きする鈴仙。ここまで痛い人物は姫様くらいだろうと思っていたが、違った形でまだまだいるらしい。

 しかし、引いている場合ではない。あの太刀の切れ味は相当な物だ。対抗手段がないでも無いが、不可抗力とはいえ先にテリトリーを侵したのはのは鈴仙だ。本人もそのことは自覚しているらしく、ゆっくりと後ずさる。

 それに気付いていないのか、天狗はさらにヒートアップしていた。

「こんな事が文先輩にばれたらまた馬鹿にされちゃう・・・・・・。もし大天狗様の耳に入るような事が有れば移動なんて事も・・・・・・」

 声量は抑え気味に成っているが、太刀を振り回す速度は上がっている。しかもつぶやきからは不穏な感じが読み取れた。狂気を操る鈴仙は、天狗の理性の糸が切れかかっている事を敏感に感じ取り、くるりと振り向いて全力で逃げる体勢をとる。だが。

「そうだ! なかった事にすれば良いんだ!」

「まずっ!」

 ダッシュする鈴仙。しかし、天狗は倶風となって鈴仙の目の前に回り込んだ。

「そのためには、目撃者を消さないと!」

「誰にも言わないわよ!」

 鈴仙は怒鳴るも、天狗は聞く耳を持たない。

「そんな保証はどこにもありません、残念ですけど消えてもらいますっ!」

 狂気というよりは混乱している感じだ。瞳が渦巻き状になって、顔中脂汗をだらだらと垂らしている。滑稽だが、得物がやばい。天狗はかけ声と共に、太刀を振り上げた。

「ちぇすちょー!」

 噛んでるし。などと場違いな事を考えながら、鈴仙は反射的に横に避けた。振り下ろされた太刀は、轟音と共に大地を割り、土塊や埋まっていた岩を巻き上げる!

 背筋に冷たい汗が走るのを、鈴仙は自覚した。

「避けちゃだめです!」

「馬鹿言わないで! ちょっと落ち着きなさいってば!」

 最速と言われる天狗から逃げるのは不可能だ。説得を試みるも、それはとても難しい事の様に思えた。普段こういう輩を鎮めるのは鈴仙の得意とするところだが、なにぶん相手が暴れるのでまともに目を見れない。目を合わせなければ相手の波長を崩すことが出来ないのだ。

 滅茶苦茶に太刀を振り回す天狗。必死で避ける鈴仙。反撃しようにも太刀筋を見切って避けるのがやっとで、動きを止めたらその瞬間斬られてしまうだろう。

 終わりは、唐突に訪れた。

 がいん。

 と重い物が直撃するような音が辺りに響く。攻撃によって巻き上げられた石が、ちょうど天狗の頭部に落下、直撃したのだ。そんな大きな石ではないが、高く巻き上げられたために落下時の衝撃は相当な物になるはずだ。

「きゅ〜」

 天狗は目を回して、大の字で仰向けにばたりと倒れた。かなり危ない倒れ方だ。普通ならば問答無用で逃げる所だが、

「ちょっ! 大丈夫!?」

鈴仙は倒れた天狗に駆け寄った。理不尽に命を狙われたとはいえ、医者の師匠を持つ身としては、危険な倒れ方をした相手を放ってはおけない。そしてこの天狗の死体を見て、他の天狗に報復に来られるのも怖かった。

たおれた天狗の頭部をみると、かなり大きなたんこぶが出来ていた。外傷は無いが、倒れ方からして脳にダメージがいってる可能性も有る。

「もしもーし?」

 耳元で呼びかける。

「ぐるぐる〜?」

 意識は有るようだが混濁状態の様だ。天狗の手を取って、親指の腹をこする。これで下あごが痙攣するような事があれば、脳に損傷が出ている可能性が有る。反応、無し。

 取り敢えずは大丈夫な様だが、油断は出来ない。あくまで目安なのだ。

「ええっと・・・・・・次は・・・・・・」

 こんな時師匠ならもっと手際よくやるのに。と思いながらも手を動かす鈴仙。最悪住み処の永遠亭まで連れて行く必要がある。

「あー・・・・・・はっ?」

 突然、天狗の目に理性の色が戻る。だが鈴仙の顔を見ると、がばっと起きあがり、距離を取って身構えた。

「わわわ私に何をしようとしたんですかっ! っつう!」

 頭を押さえてうずくまる天狗。それを見て鈴仙は安堵のため息を吐いた。

「反応も状況確認も正確。大丈夫そうね・・・・・・。でもあんまり無理しないほうがいいわ」

 言われて天狗は頭をさすりながら怪訝な表情。何かを思い出すように下を向いてしばし熟考。おずおずと、声を掛けてきた。

「ひょっとして、診てくれたんですか?」

「うん」

「わた、私、貴女を殺しちゃおうとしたんですよ?」

 どうやら完全に理性が戻ったらしい。自分のしようとしたことを理解したようだ。微妙に声がうわずっている。

「万が一貴女が死んだりして、他の天狗に仕返しに来られるのが怖かっただけ。感謝なんかしないで良いから」

 鈴仙は深くため息をつくと、いつの間にか落としていた背嚢を拾い上げ、担ぐ。

「じゃあ私は大人しく帰るから。だから後ろから斬りかかったりしないでね?」

 念を押すように言う。天狗が無言なのをみてとると、帰ろうと足を踏み出す。が。

「あ」

 さっきの戦闘で現在位置が解らなくなってしまった。地形も変わっていて、もはや方角すらままならない。

「どうしよう・・・・・・」

飛べば問題ないだろうが、天狗のテリトリー内で飛行すれば敵対行動としてみられる。途方にくれる鈴仙、夜まで待って星を見るしかないかな、と思っていると。

「あ、あのう・・・・・・」

 天狗から声がかかった。身構える鈴仙。

「何? やっぱり消すとか?」

「違います違います! 見たところお困りのようですから、お詫びと言ってはなんですけど、森の外まで案内しようかと、思って・・・・・・」

 尻すぼみに言葉が消えていく。耳が前に倒れていた。

「こんな事で許してもらえると思ってませんけど・・・・・・ご免なさい」

「謝るなら最初からしないでよ・・・・・・」

 その言葉に小さくなる天狗。叱られた子犬のようだ。目に涙をためてぷるぷると震えている。そんな天狗の様子に、鈴仙は自分が加害者になったような気分になる。卑怯だと思ったが、実際困っているので、天狗の提案を受け入れることにした。

「ま、まぁ帰れないと困るから、お願いするわ」

「はいっ!」

 ぱっと、顔をあげて。笑顔を浮かべる天狗。目元を袖でぐしぐしと拭うと、太刀と盾を拾って歩き出した。

「こちらです・・・・・・あ、自己紹介がまだでした。私、白狼天狗の犬走椛(いぬばしり・もみじ)といいます」

 いまさら自己紹介とか・・・・・・ちょっとずれた感じの天狗、椛に苦笑しつつも返す鈴仙。

「鈴仙・優曇華院・イナバよ」

「うどんげいん」

 椛はくちの中で小さく呟くと。

「ああ、永遠亭の月の兎さんですね。文先輩からお話は聞いています」

「へえ、なんて?」

「弾幕バトルに座薬を使うとか」

「座薬って言うなぁ!」

 確かに鈴仙の弾丸は白いし、銃弾型なので座薬に見えなくもない。鈴仙自身も軽いコンプレックスなのだが。

「あの鴉・・・・・・今度会ったらただじゃおかないんだから」

 射命丸に怒りを燃やす鈴仙。対して椛はまたもや小さくなっていた。

「ごごごごごごご免なさいっ!」

 激しく恐縮している。見た目のかわいらしさも相まって、鈴仙は椛を怒る気になれなかった。

やっぱり卑怯よね。そう思いながら、鈴仙は椛に近づいて、頭を撫でてやる。

「別に貴女が言った訳じゃ無いからいいの、ごめんね? 大きな声出したりして」

 撫でられた椛は気持ちよさそうに目を細めた。

「有り難う御座います。でも、すみません」

 あの子もこのくらい素直だったら良いのに。永遠亭で悪戯ばかりしている一匹の兎を思い浮かべながら、鈴仙は微笑んだ。

「で、何で座薬を使うんですか?」

「だから座薬じゃないんだってばぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 夕暮れの森に、鈴仙の叫び声が虚しくこだました。


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