月下の異変

 一人の少女が走っている。

 いや、自ら走っているという能動的な行動では無い。

 逃げている。

「っはぁ、はぁ、はぁ・・・・・・」

 雲に隠れ、月明かりの無い竹林。あったとしても、殆ど光は届くまい。あてもなく。ただただ、少女は逃げている。

 ひたすらに、必死に。

不意に、月が顔を覗かせる。ショートボブの白い髪、白い肌。パフスリーブのホワイトシャツに濃緑色でノースリーブのブレザー。同色のフレアスカート。そのどれもが、自らの血で汚れている。傷だらけ。まるで斬り合いでもしてきたような状態だ。

瞳だけが、月光を反射して、青く光っていた。

 魂魄妖夢(こんぱく・ようむ)。半霊。冥界にある白玉楼の庭師だ。幻想郷の剣術師では右に出る者はいないとされる彼女が、手傷を負ってひたすらに逃げている。

「参った・・・・・・」

 逃げるのに精一杯で、喋る体力ももったいないだろうに、彼女は自分を落ち着かせるために、言葉を並べてゆく。

「アレは強すぎる。剣が効かないんじゃ私に出来ることはもう無い」

 分かり切っていることだが、口に出さずにはいられない。そんな気配。

「おまけに楼観剣まで取られた」

 彼女の獲物は楼観剣と白楼剣という一対の刀だ。楼観剣はこの世の殆どのモノを斬り、白楼剣は斬られたモノの迷いを断つ。常にこの2刀をもって戦う彼女が、その一つを奪われたとすれば、それはもはや半身を失ったに等しい。

「とにかく、逃げないと」

 もう随分走っているはずだが、後ろから迫ってくる気配はいっこうに無くならない。追いつきもしなければ、離れもしない。少女は唇をぎりりとかみしめた。

「遊ばれている」

 逃げるということだけでも屈辱的なのに、更に遊ばれているのだ。どうしようもない怒りが、彼女の体を駆けめぐる。

 妖夢の傍らには、大きな人魂型の幽霊が浮いており、これは半霊なら必ず憑いている。幽霊は心配そうに妖夢に身を寄せてきた。

「大丈夫、きっと逃げ切ってみせるから」

 そう幽霊に言ってみたものの、妖夢は自分が何処を走っているのかも解っていない。

 竹林は広く、似たような景色で、逃げ出し始めてから直ぐに方向感覚を失った。ついでに出血も酷い。半霊とはいえ、血を失えば動けなくなる。

「参った・・・・・・」

 もはやそれしか出てこない。思えばこんな時間に永遠亭に向かったのがいけなかったのだ。買い物帰りに、薬箱が空だったのを思い出した。時間が時間だったので、次の機会にしようかと思ったりもしたのだが、面倒なのでやっぱり永遠亭に向かう事にした。その途中に突然襲われ、このざまだ。

「竹林にあんな物騒なのがいるなんて」

 何を言おうと、もはや後の祭りである。

 しばらく黙々と走っていたが、突如。開けた場所に出る。竹林を抜けたのだ。見覚えのある場所。都合の良いことに、冥界に近いところに出たらしい。

「よし、ついてる!」

 体力も足も限界だったが、自分を鼓舞するように声を上げて、走り出す。冥界まで逃げ込めればなんとでもなる。そう思ったその時、後ろの気配が飛んだ

 ずん。と重い音を立てて、ソレは妖夢の進路を塞ぐように着地する。慌てて足を止め、白楼剣を構える。

 巨体。3メートル弱はあろうか。ゆらりと振り返ったソレは、ぼさぼさの長い毛、鋭い牙を生やし、赤銅色の肌は岩のようにごつごつしている。赤い目を爛々と輝かせ、妖夢を睨み付けていた。

「さて、もう頃合いか」

 聞き取りにくいしゃがれ声で、ソレは喋る。どの妖怪にも似ていない。あえて言えば鬼に似ているが、角は無いし、今の幻想郷に鬼は殆ど居ないはずだ。まるで正体不明である。

「なんなの・・・・・・」

 この巨体で、この速さ、この身軽さ。規格外にも程がある。ソレは口から蒸気のように息を吐きながら、笑う。

「我が何者か、知りたいか」

「貴様のような狼藉者に興味は無い!」

「そうか、ならば名も知らぬ者に殺されて逝け」

 そういうと、楼観剣を構えて見せた。妖夢の身長ほどもあろうかという長刀だが、ソレの手に握られると普通の刀に見える。それくらい、巨大な相手だ。

 妖夢は戦術を組み立てる。手負いだが、まだ動ける。白楼剣の切れ味は悪いが、それでも刃がある。目や口ならば通るだろう。それ以外は、楼観剣でも弾かれた。とにかく速度で撹乱して、傷を与えた隙に逃げる。今の妖夢にはそれくらいの事しか出来そうになかった。

 今の自分に出せる最大の速度で突進。反応して横に振ってきた楼観剣を、身をかがめてかわし、ソレの脇を抜けて、振り向きざまに白楼剣を振るう。背伸びをして振るった刀は、振り向いたソレの目を切り裂く、ハズだった。

「え?」

 手応えがない。そこにソレは居なかった。

「遅い」

 後ろから、声。振り向く間もなく、背中に蹴りを受けて吹っ飛ばされる妖夢。幽霊が慌てたようにその後を追う。

「ぐぅ・・・・・・」

 何度か地面を転がり、仰向けに倒れる。起きあがろうとしたが、それは適わなかった。失血、疲労、先の衝撃とで、体が言うことを聞かなくなってしまったのだ。

「無様だな」

 視界の端にソレが映る。月光を背にして楼観剣を構えたソレは、妖夢を見下ろして嗤っていた。

「白玉楼の庭師ともあろう者が、この程度とは、笑わせる」

「貴様・・・・・・いったい、何者」

「我は死人」

 愕然とする妖夢。死人ならば、妖夢の主が全て把握しているハズだ。こんな死人は聞いたことがない。

「ありえない!」

 そんな妖夢の言葉には応えず、死人は楼観剣を振り上げる。このまま振り下ろされれば、間違いなく妖夢は二つになるだろう。

「我が血肉となって生きよ」

 死の宣告。

「無念・・・・・・!」

 そう言っても、まぶたは閉じない。奥歯をかみしめ、絶望に身を包まれながらも、斬られる瞬間まで、妖夢は目を閉じないだろう。それが、彼女の最後の誇り。

 死人の掲げた刀は、月を二つに割っていた。

「不死『火の鳥 −鳳翼天翔−』!」

 突然、飛んできた炎が死人に直撃。爆発。目の前で起きた爆発は、妖夢の意識も刈り取った。


「ああっ!」

 がばっと、妖夢は身を起こす。息が荒い。呼吸を整える事も忘れて辺りを見渡せば、見覚えのある和室。白玉楼の自室だ。

「夢・・・・・・?」

 見れば傍らには、楼観剣と白楼剣が置かれている。思わず楼観剣を手に取り、抱きしめる。鞘の冷たい感触。

「いや、夢じゃない」

 あんな生々しい夢などあり得ない。痛みがないので気付かなかったが、全身に包帯が巻かれている。助かったのには違いないが、何故助かったのかは解らない。

「あの炎は、恐らく妹紅(もこう)のスペルカード・・・・・・」

 一度異変がらみで手合わせしたことが在るが、あんな強大な炎を使うのは彼女しかいない。

「助けられたんだ」

 あのままでは斬られていたとはいえ、何となく苦いものを感じる妖夢。

「あら、起きたのね」

 ふすまを開けて入ってきたのは、ここ白玉楼の女主、西行寺幽々子(さいぎょうじ・ゆゆこ)。幽霊。薄桃色のロングヘアー。同色の瞳。青を基調とした洋風の和服。という何とも形容しがたい服を身に纏い、頭には渦巻き模様の入った天冠を付けた帽子を被っている。

「幽々子様」

「幽々子様、じゃないわ。襲われたんですって? 貴女、三日も眠っていたのよ」

 言葉とは裏腹にのんびりとした口調で言う。

「そんなに・・・・・・あの、私どうやって?」

「妹紅が連れてきてくれたの。あとでちゃんとお礼をいっておいてね。だけど、ミイラみたいな貴女を見たときは流石の私もびっくりしたわ。」

 ぜんぜんそんな風には見えませんが。と妖夢は思ったが。別の事を口にした。

「聞きましたか?」

「何を?」

「私が、私が負けた相手です」

 悔しそうに、妖夢。まるで生きながらえているのが恥じとでも言うように。

「妖夢が気にする事ではないわ」

「しかし!」

「いいの。アレは私たちが相手にするべきモノじゃない」

 口調は変わらず、やはりのんびりとしたまま。

「なんですか、それ」

 対して妖夢の口調は堅い。

「死人ですよ!? それを気にするなとはどういう!」

「妖夢」

 静かに、のんびりとした雰囲気はそのままに、幽々子は妖夢の激昂を止める。

「済みません、取り乱しました」

「いいのよ、負けた貴女には酷な話かもしれないけれど、私たちはアレに関わるべきではないの」

「・・・・・・はい」

 納得がいかない様子の妖夢に幽々子は優しく微笑む。

「妖夢、起きたばかりで悪いのだけど、動けるかしら?」

「はい、問題なさそうです」

「ゴメンね、おなかが空いちゃって」

 苦笑いをして、腹を押さえてみせる幽々子。妖夢はあきれ顔。

「私が寝てる間どうしていたんですか?」

「自分で作ってみたのだけど、だめね。おいしくないのよ」

「はぁ、解りました。さっそく準備しますから、ちょっと待ってて下さい」

 そう言うと、身支度をして台所に向かう。

「お願いねー」

 そんな言葉を聞きながら、台所に入った妖夢は愕然とした。

「幽々子様・・・・・・いったい何を食べていたんだろう?」

 大地震のあとのような調理場を見ながら、妖夢は二度と倒れないことを心に誓い、しかしため息をついた。


                                  了


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