日回り草
紅魔館の地下にある大図書館。いつも薄暗く光量が抑えられている。物音は殆どせず、真夏だというのにどこかひんやりとしていて、静かに本を読むにはもってこいの環境。
そんな大図書館の主、生粋の魔女であるパチュリー・ノーレッジは常に本を読んでいることで有名だ。今日も良い天気だというのに外出もせず、眠たそうな瞳で分厚い魔導書を眺めている。
その白い手が机の上に伸び、小さなベルを手に取る。
ちりん。
小さなベルでも、静かな図書館でその音は良く響いた。
「はーい」
ぱたぱたと羽音を響かせて、小柄な人影が現れる。
パチュリーの僕、名も無き小悪魔。彼女は主の横に降りると、会釈しながら。
「なにかご用ですか? パチュリー様」
魔女は小悪魔にちらりと視線を向けると、再び本に目を落として口を開いた。
「小悪魔、貴女今日は忙しい?」
「いいえ。今日は特に。整理の方はだいたい終わってますからー」
先日白黒の魔法使いがやってきて、書棚を荒らし回っていったのだ。小悪魔はこの数日間、その後片付けに追われていたが、なんとか今日、片付いた。
「そう、ならちょっとお願いがあるのだけれど」
「はい、なんなりと〜」
主は読んでいた魔導書のページを指さして。
「ちょっとためしてみたい魔法があって、その材料を揃えて欲しいの」
「なんですか?」
「花」
魔導書の一文をなぞる。
「つつじ、ゆり、トケイソウ、パンジーに」
そこで一息溜める。
「日回り草」
「はぁ、でもそれなら殆どが中庭で採れますよね?」
「そう、だから問題は日回り草」
小悪魔は首を捻った。聞き覚えの無い花の名前だ。
「その、日回り草って何ですか?」
「向日葵よ」
ぴしり、と小悪魔の表情が固まる。
「済みません、良く聞こえませんでした」
「だから向日葵。太陽の畑まで行ってきて」
事も無げに言い放つパチュリー。この辺りに向日葵は生えておらず、太陽の畑という所で大量に群生しているのだが・・・・・・。
「えっと、それは私に死ねと?」
そこをねぐらにしている妖怪。風見幽香(かざみ・ゆうか)は強大で凶悪な妖怪で有名だ。花を見る分には構わないが、花を折ったり傷つけたりしようものなら問答無用で襲いかかってくる。太陽の畑から向日葵を採ってこい、と言うことは、死んでこい。と言われているに等しい。
「必要なのは花じゃなくて種の方。そんな青い顔をしなくても大丈夫よ。種なら事情を話せば譲ってくれるハズだから」
「ハズ、ですか?」
「はずよ」
・・・・・・。
「無理ですよぅ!」
突然叫び出す小悪魔。胸の前で両こぶしを握って力説する。
「あの歩く暴君と呼ばれる幽香さんが種のひとつどころか筋一本だって譲ってくれるわけ無いじゃないですかぁ!?」
顔を真っ赤にして必死に叫ぶ、目には涙まで溜まっていた。
「小悪魔、うるさい」
「うるさくもなりますよぅ!? だいたい何で私が」
「妖精には任せられない。咲夜は仕事中。美鈴は門番。残るはあなただけ。順当な人選だとおもうのだけれど?」
主の言いぐさに口をぱくぱくとさせてあっけにとられる小悪魔。
パチュリーはそんな小悪魔の様子を見て、仕方ない、と言う風にため息を吐く。
「解った、そんなに言うならご褒美つき」
「そんなもので釣られませんよぅ・・・・・・」
涙をながしながら肩を落とす小悪魔。だが次の言葉。
「そう、残念ね、魔理沙に頼まれた、食べても太らない魔法なのだけれど・・・・・・」
小悪魔の耳元の羽が、ぴくりと動く。
「小悪魔が頼まれてくれるなら一番にかけてあげようかとおもったのだけど。甘いもの食べ放題なんて貴女にはたまらないと思うのだけれど。そう、それじゃあ仕方ないわね」
大げさにため息を吐くパチュリー。
「あう・・・・・・」
因みに小悪魔は甘い物好きなのだが、最近体重が気になって甘味を控えているのだ。
「私も試してみたかったな。太らない魔法」
さも残念そうに首を振る魔女。あからさまにブラフなのだが、当の小悪魔は・・・・・・。
「行きます」
「うん?」
うつむき加減の小悪魔が、突然顔をあげた。瞳には流星が漂っている。
「是非行かせて下さいっ!」
「え? でもさっきは嫌だって」
「誰ですか? そんな失礼な事をいったのは?」
お前だ。と言いたい衝動をパチュリーは抑える。先ほどとは違い、ぐぐっと覚悟の入った握り拳で天を仰ぎながら。
「というか私が行かなくて誰が行くのですか!? もう私に任せて貰えばばっちりくっきりはっきりどっきりしゃっきり種の1つや2つ、いや! 100や200位ちゃっかりもってきますよー! というわけで行ってきます!」
止める隙もあればこそ、亜音速で図書館から出て行く小悪魔。その後ろ姿をみながら、普段と変わらぬ表情で魔女は呟いた。
「自分で乗せておいて何だけど・・・・・・不安ね」
太陽の畑に向かう途中。鮮烈な陽光が容赦なく辺りを照らし、それを受けた緑が鮮やかに輝く。実に夏らしい風景。だが、その一角を切り取るように暗い雰囲気を纏った小悪魔がとぼとぼと歩いている。
「あう、なんで私乗っちゃったんだろう・・・・・・」
早速後悔していた。
「命と体重を天秤にかけてどうするんですかぁ、私。あいてはあの風見幽香さんですよぅ? 妖気ぶつけられただけでピチュンするかもしれないのに」
ぶつぶつと。小悪魔の独り言は続く。
「だいたいパチュリー様の言葉だってちょっとおかしかったじゃないですか。あからさまな誘導に悪魔が引っかかってどうするんですか」
さもありなん。
「いくら甘いものが食べ放題だからって・・・・・・」
ぴたりと、足を止める。
「甘いものが、食べ放題。そう、食べ放題です」
ぽつりと、咀嚼するように言葉を繰り返す。徐々に、唇の両端がつり上がってゆき、瞳には妖しい光がともる。
「ラングド・シャもミルフィーユもチョコレートもアップルパイも食べ放題・・・・・・」
じゅるり。と、口の端から流れ出たよだれを拭きながら。
「待ってなさい甘いもの! 私が全部食べ尽くしてさしあげますですよー!」
本人は意識していないのだろうが、完全に自己催眠である。
というわけで太陽の畑。
辺り一面が黄色一色。向日葵で埋め尽くされている。南向きのすり鉢状になっており、向日葵たちは全身で太陽を浴びている。整然と並んでいる向日葵は、みるものを魅了するほど見事だ。
ひなたぼっこをしている妖精達がちらほらとみかけられ、向日葵の向きを変えたりして遊んでいた。
「ふわぁー」
その手前で、小悪魔は呆然と畑を眺めていた。人間の里までは良く出る小悪魔だが、ここに来たのは初めてである。
「綺麗・・・・・・」
このまま眺めていたい、と思い始めたが、当初の目的を思い出し、ふるふると首を振って気合いを入れる。これから、此処の主に種を貰わなければならないのだ。
意を決して、畑に足を踏み入れる。向日葵は背が高く、小柄な小悪魔の姿など簡単にかくしてしまう。
「風見幽香さーん? いらっしゃいますかー?」
少し踏み行った所で、辺りに声を掛ける。住み処が解らない以上、こうやって声を掛けるしかないのだが・・・・・・。
「ううん」
暫く呼びかけてみても、風見幽香はいっこうに姿を現さない。このまま種をちょろまかしていこうか? などと考え始めたその時。がばっと、うしろから捕まれた。
胸を。
「ひゃっ?」
そのまま、ふにふにと揉みしだかれる。
「あっ、はっ、ふうぅっ・・・・・・」
思わず、甘い声が出てしまう。
「うふふ・・・・・・小振りで可愛いわね。それに感度も良い」
そのままほっぺたをべろりと舐められたところで、我に返った。
「なななななな何するんですかぁ!?」
手を振り払って、ずざざっと振り向いて後ずさる小悪魔。自分の胸を揉んだ相手をみる。
柔らかな笑顔を浮かべたその人物は、萌葱色でセミロングの髪に漆色の瞳、純白の長袖カッターシャツに黄色のリボンネクタイ。朱色と薄赤色のチェック柄をした袖無しのカーディガンに、同色のロングスカート。裾にはフリル。
風見幽香(かざみ・ゆうか)。数多くの妖怪の中でも特に恐れられるうちの1人、花を操る程度の能力を持った妖怪である。
実は小悪魔も噂で聞くだけで、直接会うのはこれが初めてだ。
あれ? 意外と、怖くない・・・・・・?
ぱっとみた幽香に対する小悪魔の感想だ。
表面上の事では無い。小悪魔は感覚で、この妖怪は言われているほど危険ではないと感知した。いきなり胸をまさぐられたと言うのに、不思議と不快感がない。
「失礼、あまりにも可愛らしかったものだから。ちょっと悪戯しちゃった」
くすりと笑うと、優雅に一礼して口を開いく。
「私になんのご用かしら? 可愛いお客さん」
にこやかな笑みのまま幽香は尋ねた。何時の間に取り出したのか、広くて大きな薄桃色の傘をさしていた。
「えっと、風見幽香さんですよね?」
思わず確認してしまう小悪魔。
「そうよ。貴女は?」
自分から名乗らずにいきなり聞いてしまった事を恥じ。ちょっと俯きながら。
「あの、紅魔館の図書館で働かせていただいています、小悪魔と言います」
「ふうん・・・・・・あの生意気な吸血鬼の・・・・・・」
ちらりと覗かせた舌が、蛇のように見えた。
「あの・・・・・・」
「なに?」
それでも、不快感を覚えなかった小悪魔は、すんなりと用件を口にする。
「あの、私の主が向日葵の種を所望しているんです、分けていただけませんか?」
と。
幽香の目が、すい、と細められた。